どことなく画風と作風が入江亜季に似ている漫画昴とスーさん 1巻 (HARTA COMIX)。自分は途中しか読んでいないので作品の全貌は見えないが、ベンジャミバトンをハッピーエンドの少女漫画にしたような作品という印象。
その作品の中で、年齢に反して幼い肉体の彼氏と、その特殊な事情を知る彼女の相思相愛の中で、男は野球経験者であり、大人の肉体の頃に出来なかった野球を少年野球に参加することで果たそうとする。その野球描写が酷い。以下が、野球の才能がある玄人の男がしている、という前提のスイングである。

右打席で、バットを振り抜き右手は左肩の外に回っているのに、右手の甲は下を向いたままである。これだと腕が捻れたままなので右腕の負担がとんでもない事になる。野球のバットは自分で振ればわかるが、バットとボールが接触した後のフォロースルーは、右手親指が外から上を経過して内側に回る。言うなれば、コークスクリューのような形になる。以下の画像は典型的なバットスイングである。
- https://i.daily.jp/baseball/2022/02/12/Images/f_15056896.jpg
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右打席でバットを振り抜くと、バットが自分の体の前に出たあたりで右腕を回転させている。この作者は、主役のとってかけがえのない野球という題材に関して勉強をしなかったのだろうか? 登場人物が人生を賭けている、という程度の価値で自分の漫画に人生を賭けていないのだろうか? あくまで野球をやっている男を消費したいだけで、野球が持つ知識や技術や才能や努力には興味がないのだろうか? 月経の無いいつでもセックスに応じる女を描くエロ漫画程度の認識で、野球をする男を見ている、その程度の価値観で自分の漫画に野球を描写したのだろうか?
この手の事で思うのは、特に女の漫画家は、自分で実践しないのだろうか? 葬送のフリーレンも弓矢の構えがおかしい箇所があり、理由もないのに洋弓が矢を右につがえたり左につがえたり気分で描かれる。どの世界も玄人は無意識に基礎の型をできるように努力するのに、漫画という、あらゆる構造を理解して視覚化するのに苦心する分野のプロが、自分が描く対象の分野に関する勉強も経験もせず上っ面で描写する。そして、その軽薄な態度を、美男美女の喜怒哀楽だけ見られれば満足する軽薄な読者によって支えられている。