自分が松本大の総ルビ必須論を知ったのは有隣堂のYoutubeだった。
自分は、今でこそ月に1冊から3冊程度の本を読み〈絡新婦の理〉や〈肩をすくめるアトラス〉など1000ページを超える本も嬉々として読めるが、子供の頃は活字だけの本は嫌いだった。漫画は読んでたし、ゲームの攻略本は読んでいたが、好きで見ていたアニメの小説版(今で言うライトノベル)すら面白さがわからなかった。
これに関してはルビに関係なく、文字だけの本が嫌いだった。漫画は絵が主役だし、ゲームの攻略本も地図など非文字の視覚情報が主だったから、それを補強する文字は苦もなく読めた。しかし、小説など活字だけの本は退屈で仕方がなかった。
本書では漫画が小説よりも売れている理由は絵があり文字と絵が補完しあっているから、そして、子供が読むのを想定しているから総ルビが多く幻想(ファンタジー)や暗黒(ダークネス)など遊び心のあるルビで刺激を得られるからと指摘している。
自分が持っている漫画でルビの有無を調べたら、以下の結果だった。
【総ルビ】
- レベルE:冨樫義博:集英社
- 修羅の刻:川原正敏:講談社
- ラフ:あだち充:小学館
- 君は喧し閉じてよ口を:森田俊平 - アルデヒド:富士見書房
- 剥かせて!竜ケ崎さん:一智和智:株式会社オーバーラップ
【局所ルビ】
- ヒストリエ:岩明均:講談社
- ベルセルク:三浦建太郎:白泉社
- ミズダコちゃんからは逃げられない:眼亀:芳文社
- 片田舎のおっさん剣聖になる:佐賀崎しげる - 鍋島テツヒロ - 乍藤和樹:秋田書店
- 古代戦士ハニワット:武富健治:双葉社
面白いのは、同じ出版社(講談社)でも想定している読者層の年齢によって総ルビと局所ルビが区別されている。
正直、自分は活字だけの本の場合は総ルビは読みづらいと思っていた派である。漢字を読もうとしても右にある平仮名のルビを読んでしまい漢字を読んでいる感覚が無かったからである。しかし、今回、総ルビの本書を読んで思ったのは、未知の言葉は当然ながら、漫画が絵と文字の補完で読みやすいように、総ルビは読みづらい事はあっても漢字と平仮名の写像で視覚的に暗記しやすい、という事だった。左に漢字、右にルビとは、単純化すれば、美女の顔と胸の大きさを組み合わせて好意を持つに等しい。これは今回思わぬ発見だった。
本書では、1981年に井上ひさしはルビの必要性を説いている事を引用しているが、自分が所有する〈戯作者銘々伝〉は総ルビじゃなく局所ルビ(パラルビ)である。夏目漱石の本も総ルビが多いと書かれているが、自分が〈日本印刷博物館〉で見た夏目漱石の当時の著作は、同じ作品でも総ルビだったり局所ルビだったり、時代や出版社によってバラバラであった。つまり、同じ作者で同じ作品でも明確な基準がない。
松本大の主張で最も重要なのは、英語は発音記号なので、知らない言葉はあっても読めない文字は無い。だから、内容の難易度はあっても、読み始める難易度は等しい。しかし、日本語の漢字は読めない文字だと、そのまま知らない言葉になってしまう。これは学力格差以前の致命的な問題であると。総ルビじゃない本は、本が売れないと言いながら消費者層を制限している出版社による差別ではないかと。
非常に面白かった指摘は他にもある。行政資料は点字で提供されている場合もあるのに、何故か漢字を読めない層に向けた総ルビ資料が無い。これは目から鱗だった。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1340250_00010.htm
松本大は日本語の文章とは総ルビであるべきだ、と主張しながら、本書の終盤では〈適度な局所ルビ〉が理想的だと認めている。ただ、老若男女、更に言えば海外の第2言語としての日本語学習者や来日旅行者など全対応するには総ルビしか方法がないから総ルビにすべし、と述べている。
彼は短期的利益よりも長期的利益を優先せよ、と言っているだけである。
自分は彼の主張に全く同意するが、本書では本文は縦書き、奥付や作者のプロフィールが横書きで書かれているが、総ルビは横書きだと読みづらいと思った。これが普遍的なのか経験則なのか自分にはわからない。
ただ、彼の言う〈誰でも読める形〉は総ルビしかないのは事実だし、自分のように文字や文章を模様のような視覚情報として認識するような性質にもルビは傍点的写像として強く印象に残る事がわかった。
問題は2点あり、まず総ルビはコストがかかる。誤字脱字のチェックと考えたら単純に2倍以上の手間がかかる。そして、作家や出版社の編集者は文字や文章に関するエリートなので、文字や文章の処理能力で劣る層の限界を理解が出来ない。例えば、自分は音楽の素養があるので、音楽を暗記する時は以下のように楽譜的な視覚情報を補完に採用している。
| 1小節 | 2小節 | 3小節 | 4小節 |
|---|---|---|---|
| ・・・・ | ・・・・ | ・・・・ | ・・・・ |
しかし、音楽を娯楽として消費しているだけの層は楽譜を読み書けないから、繰り返し聞いて運動記憶として暗記するしかない。そこで音楽の消費者に楽譜を読めるようになれ、と要求するのは無茶である。同様に、文字間に隙間が出来たりして読みづらい、というデメリットがあるのは事実だが、そもそも入口で消費者を選別する事が教育と商売の両方で果たして正しいのだろうか。しかも、出版社無意識で無自覚にそれをやっている。
面白いのは、総ルビの漫画の表紙も作者の名前は漢字だけだったり、局所ルビの漫画でも作者にはローマ字で読みが示されていたり、内容と表紙で互いに真逆の方針を示している作品や出版社があった。
こういう曖昧な基準で読めない層を排除するくらいなら、機械的に総ルビにして平仮名が読めるなら誰でも読める体裁にするのが教育と商売の両立ではないか。そして、月に1冊以上の本を読む自分達のような活字エリートは読みづらいと文句を言いながらも本を読む。しかし、月に1冊も本を読まない層が6割の多数派である以上は、その多数派を相手に対策と配慮をするのが教育と商売の両面で誠実ではないか。これが松本大の主張である。
