そもそも〈メタバース〉でしか出来ない事ってあるの?

メタバースは終わってしまったのか? “コロナ禍後の仮想空間”の現在地 日常として定着しないワケ(1/5 ページ) - ITmedia NEWS

 メタバースも所詮は1企業が提供するサービスに過ぎず、何らかの理由でサービス終了する可能性があり以上は、最低でも消費者が生きているうちは継続が保証されている社会として認識するのは無理だろう。

 そして、メタバースにしか出来ない事が、果たしてあるのだろうか?

 ゲームは非メタバースのゲーム品質に劣り、会話をしたければLineやDiscordで事足りて、匿名を望むならメタバースの固有名詞的なアバターなど不要。例えばGravityはアバターの数を増やした事を批判されてユーザが離れていった。

 現実としても仮想としても全て中途半端で何の結果も生まない。しかも、今のデジタル端末の主流はスマホでありパソコンではない。メタバースがそもそも高性能なパソコンを必須な時点で一般的には成り得ない。せいぜい遊園地と同じ、1年に行くか行かぬかで充分という層が大半であろう。

 例えば、任天堂なんかは、むしろ現実の中でどれだけ仮想に価値を持たせられるか、という事に苦心しており、仮想が現実に勝るなどとは微塵も思っていない。それが業界トップなのだから、人間の根源的な価値観は仮想と現実のどちらを取るかは自明である。

 もしも、無料に近い金額で、デバイスの装着などの手間が不要で、無線のWi-Fiで快適に動くなら、瞬く間にメタバースは浸透するだろうが、それはメタバースは要求する/される水準には至らず、原理上無理な話だろう。

 人類は既に仮想が日常になっており、金銭を要求する過剰な仮想商品には、むしろ、うんざりしている節がある。推し活という名目で馬鹿な消費者を釣り上げる事も可能だろうが、まず盲目的な愛着を消費者に抱かせる必要があり、それをメタバースに出来るとは思えない。所詮メタバースとは環境の一部であり、目的ではないのだから。

 理系の小説家である森博嗣は、世の中はもっとオブジェクト指向で物事を考えるべきだ、と主張している。どういう意味かと言うと、所持品を増やす事と、所持品を使いこなして何かを実現する事は全く別問題であり、通常は所持する事が目的となっている。しかし、所持する事と所持品の使い道を同等と見なして、所持した後の行動も想定して所持せよ、という事。

 メタバースは、そういう意味でオブジェクト指向に至っていない。参加が目的であり、参加する事で何を得られて何を実現するか何も提示が出来ていない。例えば、Vtuberなら、自身の容姿を気にせず一攫千金を得られる可能性があるとか、自身が描いた萌え絵をそのまま商品にする、などの恩恵が誰の目にも明らかで、既にメタバースの想定している利点を難なく攻略している。

 メタバース関係者に問いたい。あなたが利益を得る以外に、消費者に何の利点がありますか?

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