
良かった点
- 作品の精神年齢が比較的に高め。幼さを前面に出して思春期に媚びるのではなく、世界や社会の描写や展開を楽しめる層に向けている。
- 萌えアニメへの反発。とは言え、石見舞菜香が演じるハッカーなど明らかに媚びているキャラもいる。
- 音楽がクール。渡辺信一郎と趣味が合うかどうかは別にして、音楽への固執が並々ならぬ作風なのが良い。菅野よう子のお抱えミキサエンジニア薮原正史が担当してるのもポイントが高い。
- 内田真礼が良い。ああいう声と演技が出来るとは知らなかった。自分は佐倉綾音や水瀬いのりや上坂すみれや内田真礼など萌え声しか無い売女が大嫌いだが、水瀬いのりは声質の幅は狭いながらウィズダフネのヒロインで見直し、今回の内田真礼は演技は当然ながら声質にも驚いた。クレジットを見るまで誰かわからなかった。サガスカのウルピナは好きだが、あれは声質自体はいつもの彼女であり、そういう意味で退屈だったが、まさかこういう事も出来るとは。
- 《背景/美術》が凄まじく凝っている。SF作品だが現実の国や土地を舞台にしているので、取材の成果が遺憾なく発揮されている。近年のアニメはどれもハイクオリティであるが、本作は明らかに売れない路線ながら一切の妥協が無く全力であるのが見て取れる。
- 山寺宏一や林原めぐみなど玄人を起用し、また爺さん婆さんが鍵となっている。
- 登場人物の人種は豊富。自分は決してポリコレ肯定派では無い。しかし、ゲームのサガシリーズは亜人種やロボットを何の説明もなく最初から平然と存在させているように、現実の人類しか存在しないような作品でも、もっと《デブ/おじさん/おばさん/黒人/同性愛/トランス/中東/アフリカ/中南米/車椅子/手話/盲目/身体障害》などを登場させろと思っていた。しかも、これらを《聲の形》みたいな題材として扱い過剰な肯定描写をするのではなく「髪が長いとか短いくらい」普通の事として。自分が漫画《銃夢》などSFを好きな理由はそこもある。機械の義手義足が普通に出てくるし、人種や体型も豊富。今アメリカのポリコレ勢は何でもかんでも主役を黒人にしろだのもっと黒人を出せだのうるさいが「そうして欲しいなら自分たちで作れ」と思う反面——同じ顔、同じような声、同じような言動と思想——のアニメを見てうんざりする気持ちもよくわかる。《渡辺信一郎》は日本のアニメよりも海外の実写作品に影響を受けている人間なので、日本よりも海外で人気を得るのは必然だったのかも知れない。
- 放送終了後に関係者の生配信がある。
悪かった点
- パルクールをアニメでやる意味があったのだろうか? あれは実写でCGI無しにやるから凄いのでは?
- 最近のアニメと比較すれば大人向けだが、カウボーイビバップはジェットという36歳の禿げたおっさんがいた。そういう意味で登場人物が若過ぎる。主役とヒロイン的な女と若年美少女ハッカーまでは良いとして、残り2枠にはおっさんとおばさんが欲しかった。
- 視聴者の年齢層を高めに想定しているように見えて、思春期向けの言動や台詞が多数。
- 《カウボーイビバップ》や《サムライチャンプルー》と異なり1話完結ではなく地続き作品なので、逆に終盤まで謎が明かされないから、それまでの戦闘やゲストが無駄で茶番に見える。最初話と最終話だけ見れば充分の作品になってしまっている。
- 天使とか悪魔とか厨二台詞が多すぎる。
- 個別主義の凄腕を集めたように見せて、仲良しこよしの馴れ合い集団。主役と金髪のキスとか気持ち悪かった。
- 3話の盲目のホームレスがスキナーなの明らかなのに、主役達が誰も気づかず、最終回でまさかあいつが!?とされても馬鹿にしか見えない。
- とにかく自分語りが多い。それをしないからカウボーイビバップやサムライチャンプルーは良かったのに。
- 音楽はクールだが、空で歌える曲が何曲あるかと言われると、OPとEDしかない。聞いてる時には浸れるが、見終わった後に残っていない音楽。そこがカウボーイビバップの菅野よう子と決定的に違う所。
総評
1990年代後半から2000年代前半で台頭した萌えの流れに自分は乗れなかった。主要キャラが若い美男美女なのはわかるとしても、この辺りからアニメの登場人物の世代が明らかに狭くなって気持ち悪い。確かに年齢設定は大人のキャラクタは幾らでもいるが、それは免罪符としてで顔や言動は10代前半みたいなキャラばかりで気持ち悪い。
自分は、子供の頃に「スプーンおばさん」や「OVA ウィザードリィ」などが好きだったし、そこそこ若い頃に「人狼 Jin-Roh」や「バンパイアハンターD」や「海皇紀」や「ベルセルク」など、「鬼平犯科帳」や「剣客商売」など時代劇も好きで、そして「カウボーイビバップ」を好きだったので、そもそも大人が活躍する作品を好んだ。
だから、若年至上主義に走る日本のアニメの流れについていけず、自分は洋画に走った。クリストファー・ノーランやドゥニ・ヴィルヌーヴなどの方が自分には合っていた。
そういう意味では、そもそも渡辺信一郎の指向は自分には合っていた。日本のアニメより欧米の実写の方が馬が合う。これは当然ながら優劣では無い。あっちはあっちでポリコレ祭りが余りに馬鹿げている。あっちはキャラの全員が厳つくて醜い。こっちは顔も言動も10代ばかりで幼い。どうして互いにそう極端なのだ? 大人も子供も人種も豊富であればいいだけじゃないか。そんなに難しい事なのか?
そういう意味で、本作は充実した作品ではあった。心に残る名作かと言われたら全くそんな事は無いけれど、極めて真面目に日本アニメの弱味を避けて強味だけを出そうとしていた。日本から、こういう作品が量産される事は無いだろう。だからこそ存在価値がある。
今でも、ちょくちょく渡辺信一郎と仕事をする菅野よう子がMay'nとの対談で以下の事を話している。
【菅野よう子】
やっぱり業界を壊すのは別のジャンルから来た人だよね。
May’nちゃんもあまりアニメを知らなかったのが良かったとは思う。私もMay’nちゃんが、アニメを好きだから関わりたいと思っていたり、アニメの歌手になりたいという人だったりしたら選んでいなかったと思う。
違う分野の、可能性を感じる歌手がいいと思っていたので。その考えは今も変わらず、アニメの仕事をするときは、アニメを好きという人に基本的にはお願いしない。映画業界の人がアニメ業界に来たり、その逆だったり、あるいはファッションの人がアニメに来たり。そうやって変わっていくところは音楽でも同じなので。アニメを好きな人はどうしても既存のアニメが天井になってしまうし、そのジャンルのしきたりにハマると世界観が小さくなるので、なるべく関係ないところから攻めるようにはしている。
それはゲームでも小説でもそう。『ガンダム』作品や『マクロス』シリーズに関わるときも一応、「見た方がいいですか」とは聞くんですよ。でも、「見なくてもいいですよ」と言われるから見ないんだけど(笑)、ただお約束みたいなところに収まりたくはない。やっぱりジャンルをまたいだ方が面白いと思うよね。
この考えに自分は全く同意する。小説家《森博嗣》も、自身がかつてビデオゲームにハマりながらゲームをやめた理由を「ビデオゲーム初期は定型が存在せず、誰も彼もゲーム以外のジャンルから学んで四苦八苦しながら作っていた。だから予想が出来ない物があって楽しかった。しかし、徐々に定型が定まると類型的な作品が量産されて興味が失せた」と言った発言をしていた(※どの本だったかは忘れてしまった)。
特撮なんかでも《仮面ライダーBlack》などは子供向け特撮ではなくて大人のハードボイルドをやっている。当時の子供達はわけもわからず、それを受け入れていた。日本の漫画やアニメは非常に柔軟で面白ければどこの国のどんなネタも吸収する。そういう意味で日本の漫画アニメは実に多様である。しかし、何事にも傾向はあって、日本のは若年美男美女至上主義。《LAZARUS》すら、そこからは逃げられなかった。
LAZARUSでわかった、というよりもLAZARUSで確信を抱いた事だが、渡辺信一郎は2クールで輝く監督。カウボーイビバップ、サムライチャンプルー、スペースダンディ、これは渡辺信一郎の指向がありながら、関わるスタッフの趣味を全く許容している。だから、本来はつまらない要素ですら、作品の幅として味になる。
しかし、1クールだと余裕がないので、ガリやパセリなど添え物を出している暇が無い。結果として渡辺信一郎の厨二要素だけが強調されてしまう。自分は彼に2クールを作って欲しいと思っている。

最後にモブでアイン(コーギー)がいたのは微笑ましかった。
