性欲由来の作品を求める理由がわからない

「性欲由来の面白さ」について少し語らせてくれ
 自分は割と古い価値観で、アニメや映画やゲームなどは戦うべき相手、あるいは解決すべき問題、不可能への挑戦、など極めて古典的で男性的な作品を好む。例えば《荒木飛呂彦》《河津秋敏》《クリストファー・ノーラン》など典型例で、実に古風な男の生き様が描かれている。

 ただ、男向けの性欲由来の娯楽には馴染めない。登場人物が美男美女なのはわかるが、それが売りになっている作品は、むしろ気持ち悪いと思う。最近だと《片田舎のおっさん剣聖になる》なんかは、主役の思想や言動が肯定が出来るが、出てくる女が媚薬と洗脳をされたのかというくらいに主人公を全肯定で惚れ込んでおり吐き気がする。

 男向けに限らず《薬屋のひとりごと》も所詮は仮に有能な自分よりもさらに有能で金持ちでイケメンでガツガツしてないのに自分にだけ優しいという典型的な少女漫画の男に、消費者の知能が心配になるくらいだった。

 自分がアニメを見なくなった理由は複数あるが、その内の1つは性欲由来の作品が増えすぎたから。特に1995年のエヴァを契機に加速して2000年代頭に萌えアニメが様式化して今に至る。

 今《イヴリン嬢は七回殺される》というSF要素を古典ミステリに加えた小説を読んでいるが、男はデブだったり不細工だったり老人だったり色んな男に憑依して幅が広いのに、イヴリンとアナという主要キャラの女はどちらも美人で固定。ジャンルはミステリなので決して男向けに限った作品ではないのだが、明らかに男が男向けに書いている乗りなので、自分には多少抵抗があった。

 男向けだろうと女向けだろうと、恋愛や性欲を根拠とした作品は基本的に気持ち悪い。自分が何故そこまで抵抗があるかというと、例えば魔王なんてのは現実にいないし仮に世界を牛耳る巨悪を自分が討伐するなんて不可能だ。何かスポーツで世界1になる事も。だから見てみたいと思う。あるいは擬似体験をしてみたい。しかし、恋愛やセックスは現実に可能な事なので、どうしてそこまで創作に要求するのかがわからない。仮に恋愛やセックスが実現不能な対象なら、なおさら漫画アニメに甘えずその人生をどうにかする方が先では?——と思ってしまう。

 自分は現実にも創作にも、凡人では理解も実現も不可能な思想と行動を見せて欲しいと思っている。その功績の断片から学び、自分が出来る事を増やしたいと思っている。《菅野よう子》《京極夏彦》《クリストファー・ノーラン》《ジェイコブ・コリアー》《ハンス・ジマー》などなど。だから、性欲由来の作品を消費する利点がわからない。

 自分も美女は大好きだ。最近だと坂本真綾のアクスタがちょっと欲しいと思ったし、google:image: 今田美桜なんかは、こんな美人が世の中にはいるもんなんやね、と英語を暗記するための《I》をイメージする対象に利用している。だが、結局アクスタのために聞かないCDを買うことはなかったし、今田美桜のドラマや映画なんぞ1本も見たことがないし今後も見ない。何かの弾みで美女を見かけて一瞬いい気になるが、それが仮に100円で入手可能な商品だったとしても、写真集やアクスタやドラマや映画やアニメなど自分の知識や能力の拡大に役に立たない事に1円も1秒も金と時間を費やすには無駄だと思っている。

 でも世間はどうやら違うらしい。漫画雑誌の表紙は相変わらず水着美女だし、Vtuberという萌え絵で美化した異性消費は益々加速しているし、アニメなんかこういうランキングを見る限り9割が男向けであろうと女向けであろうと未成年の萌えを売りにしている作品ばかり。だからこそ一石を投じたLAZARUSが輝くという利点もある。今は多様性の時代で誰が何歳になって何が好きでも許されるが、自身の性癖を恥と思わず主張する思い上がったゴミが増えてしまった。閉じられたコミュニティでそれをやるなら良いのに、YoutubeSNSなど全公開でひけらかし、挙句に運営もそれらを数字だけを根拠に《おすすめ》するから始末に負えない。

 オタクだからと差別される事でもないが、同時に、どこでも誰にでも披瀝する物でもない。