別に顔を公表しないのは構わない。そんなの不要だと判断は全く同意する。ただ、それが〈ゲームプレイ〉が売りならゲーム画面だけで良いし、〈音楽〉ならピアノロールや楽譜を画面に表示すれば良い。ゲームが好きならゲーム画面で充分だし、音楽が好きなら楽譜、せめてメロとコードだけでもあれば楽しめる。しかし、現実にはそういう事をしない。
AdoはVtuberではないが顔を隠し続けて絵を利用している。別に顔を出さないなら絵も不要では? 彼女らには分野の実力だけで勝負する覚悟も実力もなく、しかし、美化された視覚的な情報は維持したいという浅ましさがある。
自分も、インターネットの動画や配信に顔出しは不要で、それぞれ分野の技術や知識で勝負をすればええやんと思う。しかし、特に女において当事者も消費者も、醜い姿は見たくないが、何も見えないのは興味が失せる、という実に素直で浅ましい欲望に従っている。
自分なんかは、イチローやウメハラや羽生善治や木村一基や菅野よう子や佐野康夫やLarnell Lewisやクリストファー・ノーランなど老いていく姿だからこそ、失うだけではない人生の片鱗を見せてもらい感動するのだが、所詮はVtuberやAdoに喜んでいるのはガキ、白髪や皺を許せない稚拙な価値観しかない精神的未熟児の集団なのかなと思う。
漫画やアニメのキャラも益々童顔と幼稚な言動が主流というか常識の世界となり、それらを主な娯楽としている層からすれば、今のVtuberや Ado型などは、むしろ自然に見えるのだろう。
世界を動かすのは若者で、それは健全で良い事だ。ただ、若さを売りにしたものは長続きしない。どんなジャンルにも言えるが、若さや早さよりも長さがどれだけ偉大なのかは、自分が何かに挑戦して年単位で練習や努力をすれば、すぐにわかる事だ。
VtuberやAdo型が努力をしていない、という話ではない。ただ、年齢などの人生の勲章とも言えるような要素を拒んでいる消費者が浅ましいという話。結局は消費者が望めば彼女らは順応していく。頭の悪いガキが喜んでいるだけなら良いが、いい歳した大人まで表面的な若さに食いついて喜んでいる現状が醜い。