Vtuberとコラボする商品を嫌いな層の矛盾

 自分は、整形で量産した同じような顔や、4つ打ちやコードだけで対位法が皆無の没個性な音楽の歌など、Vtuberに少し否定的な立場であるが、全否定はしていない。スト6の今の人気は間違いなく彼女らが1つの因子であり感謝している側面もある。ただ、自分は彼女らを消費しないだけ。

 そもそも、自分が心から愛する人物や作品はVtuberと全くコラボしていない。音楽の小説も漫画も映画もアニメも。つまり、Vtuberが悪いのではなく、Vtuberとコラボをしたがる人物や作品が軽薄というだけ。時流よりも大事な何かを携えて実現している人達は一過性に興味が無い。

 Vtuberという商売自体は、上っ面が綺麗じゃないと受け付けない消費者と、個人的な要素を隠して売れたがる当事者がいる限り今後も続いていくだろう。自分は、どこまで行っても平面の画面や、どこまで行っても業界外の共演者と触れ合えず、老いすら魅力に還元できないような人物や商売を下品と認識しているので消費者として無関係だが、需要があるなら継続するだろうし、分野が増えるのは良い事である。

 自分のような、スマホとSNSで時間を消費するくらいなら本を読み、パソコンより紙と鉛筆を使い、飲み物は水だけあれば酒もジュースもいらない、こういう消費者が選ぶような人物や商品は、基本的にVtuberという水商売には無縁である。現実に友達や恋人や結婚相手がいて充実してたらキャバクラやソープに行かないのと同じ。自分の場合は意図的に人間関係が希薄だが、それは自分の練習や勉強の時間を増やしたいから実行しているだけなので、不満は全く無い。1ヶ月に1件もLineなど来ないが、むしろありがたいし、数日後に知人がやる音楽ライヴがあり誘われたので見に行く、程度の関係や出来事はある。

 Vtuberを嫌うのは自由だが、Vtuberとコラボするような人物や商品は、生まれる前と死んだ後の事を現在と等しく扱えないような短期で刹那的な価値観に甘んじているのだから、Vtuberではなく、自身の見る目を疑う方が正しい。例えば、音楽ではいつの時代もポップスが馬鹿売れするが、消費者が世代交代すると語り継がれず、あくまで当時の世代が思い出として消費し続けるだけである。どれだけ売り上げの記録を更新しようとも、それらは時代を超えてまで残す価値がある商品としては認められない。日本で1番売れたCDは泳げたい焼きくんだが、令和では誰も聞いていない。だから、Vtuberに限らず、今の売り上げがどれだけ世界的に凄い数字を出しても、もはや自動車や電車や自転車がある時代に馬車が不要なように、それに一喜一憂するのは無意味。

 自分がスマホを嫌いで本を読む理由は、取り扱われている時代が広いから。そして、取り扱ってる人物の時代も広いから。紀元前から現在まで何でもある。ネットにも断片はあるが、小説を1冊を映画にすると必ず省略と短縮されるように、ネットで得られる情報は断片に過ぎない。入り口には良いが、道中と出口には向かない。Vtuberの主な客層は、スマホやSNSの消費に全く疑問を抱いていない層なのだから、そういった層が求める商品がVtuberとコラボしても何ら不思議ではない。むしろ、なぜVtuberを嫌いな自分が好きな商品がVtuberとコラボしたのか、その原因を考えて、無自覚な指向を自覚する方が大事なのではないか。

 逆に、Vtuberとコラボした程度で自分にとって商品価値が下がるのなら、それは元々ろくな評価を下していない事になる。つまり、Vtuberを嫌いなのが前提なら、Vtuberとコラボするような商品を好きな自分が愚かであり、Vtuberとコラボした程度で判断が変わる自分が愚かなのであり、Vtuberは無関係となる。キャバクラに入れ上げておきながら、実はキャバ嬢が自分を心から好きじゃなかった事に怒って入り逆ギレしてる愚かな客にしか見えない。