結局ゲームってスーパーファミコンとかPS1くらいの時が一番おもろかったな
自分が、今ちまちまと遊んでいるゲームは以下である。
※全てSwitchで遊べる最新作かリマスターかリメイク
- ダイナソア
- ブランディッシュ
- 世界樹の迷宮2
- タクティクスオウガ
- グラディウス/コレクション
- FF12TZA
- サガ/コレクション
- サガ・フロンティア2
- サガ・エメラルドビヨンド
- Blasphemous
どれか1本を1日15分から、長くて30分くらい遊ぶ程度。そこで思ったのは、自分にとって理想は、グラフィックと音源はスーパーファミコン以下、しかし、発想やUIや操作性や容量は最先端。
特にBlasphemousとサガ・エメラルドビヨンドで思うのだが、ゲーム性が3Dでないのなら3Dである必要性がない。少なくとも消費者としては。もっと記号化して挙動を軽快にしてくれた方が嬉しい。
自分が3Dを嫌う理由は以下の通りである。
- 具体的で細やかな動きだから、倍速だと不自然になるし、目が痛くなる。
- 2Dドット(ピクセル)よりも容量や処理の負担が大きいので、必然的に読み込み時間が長くなる。
- キービジュアルやキャラデザの絵に比べると、どうしても綺麗ではなくなる。
3Dを全否定しているわけではなく、3Dを前提にしないで欲しい、というだけ。言うなれば、映画でCGIを使わない作品をもっと見たい、という欲望に近い。
ゲームそのものは歴史の歩みと共に進化しているのは間違いがなく、当時のスーパーファミコンよりも優れた現代の作品は沢山ある。しかし、確実に失われた要素がある。それは、脳内補完。

ファミコンやスーパーファミコンは静止画としては綺麗だが、アニメーションは後期かつ大予算の作品じゃないと滑らかとは言えなかったが、消費者はそれぞれキービジュアルやキャラデザの絵や攻略本を見て脳内補完をしていた。言うなれば、小説や漫画を読んでるのに近い。
3Dは誤解のしようがない代わりに想像のしようもない。懐古の側面もあるが、ファミコンやスーパーファミコン表現方法が限られていたからこそ、どうやって世界を広大に感じさせるか、という事に苦心していた。



サガ・エメラルドビヨンドを遊んでわかったが、自分はキャラクタを移動させる要素は不要と感じた。地図と、移動先のリスト一覧から目的地を選択して場面が切り替わってくれれば、自キャラを上下左右に動かす必要を感じなかった。
音楽(音源)に関しては、PS以上は中途半端なシンセ音源なので嫌い。スーファミ超過で生楽器未満の存在で、全く良いと思わない。PS世代の音源を使うならスーパーファミコン以下か生楽器かどちらかにして欲しい。
これは、よく言われる事だが、自分はゲームをしたいのであってアニメや映画を見たいわけじゃない。とにかくプレイヤの判断を快適に反映させられるゲームを遊びたい。その一環として、グラフィックの精密さは必要条件じゃない。