自分は昨年(2025年)は年間415時間ゲームで遊んだ。365日で割ると、1日68分を遊んでいる。だから、割とゲームで遊んでいる消費者と言える。
以下は今年セールで買ったゲーム群である。
- Agent A
- Astrea:Six-Sided Oracles
- Bloodstained:Curse of Moon 2
- DRAINUS ドレイナス
- Deadly Days
- Flat Heroes
- Gordian Quest
- Is This Seat Taken?
- Lacuna
- Minesweeper Classic
- Orbital Bullet
- Orwell: Keeping an Eye On You
- Revolgear Zero
- Shady Part of Me
- Thronefall 不屈の王国
- There Is No Light
- Unheard
- YGGDRA UNION ユグドラ・ユニオン
- クロノアーク:デラックスエディション
- タイムウォーカー:ダークワールド
- 剣の街の異邦人
- 小さな世界
- 神無迷路
- 探偵の眼
- 魔女の迷宮
- 薔薇と椿:お豪華絢爛版
- FARAWAY TRAIN 最涯の列車
合計で27本あり、セール価格で1万円くらいは消費している筈である。それでも、今の自分にとってゲームの価値は読書や音楽よりも低い。それは何故か。ゲームはソフトを遊ぶために端末を買い替えなければならないが、本はソフトを買えばハードも付いてくるし、音楽は新しい音楽を弾いたり作編曲するのに新しい楽器を買う必要がなく、これもソフトに合わせてハードを買う必要がない。しかし、ゲームはそうはいかない。
無論、最新作が最新機種でしか遊べないのは当然で納得している。しかし、1990年台の古いゲームを移植した時に、なぜ30年後の現役機械であるSwitchで遊べず、2020年代のSwitch2でしか遊べないのか納得が出来ない。具体的にはアーケード・アーカイブスの鉄拳などがそうである。Switchは当時のプレステやセガサターンを遥かに凌駕しているゲーム機なのに、互換性があるSwitch2でしか遊べないのは意味がわからない。
自分は恐らくSwitch2以降の次世代ゲーム機を買う事はないだろう。仕様上で充分な性能を持つ現役のゲーム機械が市場から無視され、数千円のソフトのために数万円のハードを買うくらいなら、数千円で買えばそのまま死ぬまで使える本や楽譜の方が利益が多い。
ゲームはもはや人類は滅びるまで継続する娯楽文化であり、もはや老若男女が属する市場だが、それでも子供や若者が中心である理由は、読書や音楽と比較したら短命の分野だからである。20年前の本は20年後に買っても読める。しかし、ゲームは違う。
自分はスマホやパソコンなどデジタル端末自体に同じような不満を抱いている。デジタルデータを使う商品は明らかに短命である。ネット上の情報も簡単に消えるし、ハードも7年程度で切り替える必要がある。
自分が持っている古い楽譜だと1990年、本だと1988年の奥付である。これらは現役で読めて使える。しかし、ゲームはそうはいかない。新しいゲーム機では出来ない場合があるし、ソフトを持っていてもハードが壊れたら利用が出来ない。
だから、自分にとってゲームも価値は著しく下落した。自分にとって素晴らしい作品や思い出があるにも関わらず、それを扱える時間的に自由が許されないから。