10万字の長文を読めるのが異常〈本を読めなくなった人たち〉

 1996年のピークを最後に本の売上は右肩下がり。色んな人物が色々と論じているが、その中の1冊本を読めなくなった人たち。基本的には大学生以下のZ世代を対象とした取材ではあるが、世代よりも広い問題である。

 本書が示す前提として、まず、10万文字(新書200ページ程度)の長文を読めるのは特殊能力。現在の大学院生や国立大学生でも娯楽として本を読まない。そもそも、長く複雑な情報を義務じゃなく主体的な娯楽として扱える層が圧倒的に少数派。

 これは読書に限らず、クラシック音楽の交響曲はポップスほどの売り上げを出せない。2020年以降の1億回再生されたボカロ8曲のうち3分30秒を超えた尺は1曲だけである*1

 スマホとSNSとショート動画による影響もあるだろうが、根本的に長く多く複雑な情報を日常的に能動的に求める層が圧倒的に少数派。

 Z世代は経済的な理由で本を買えない。故にコスパ(タイパ)優先となる。しかし、2時間で終わる2000円の映画に金を出しても、数日は読める2000円の本に金を出せない理由を質問しても説明が出来ない。

 それより上の世代もまた金銭が大きな理由だが、仕事をして疲れている時間で集中力を必要とする読書を出来ない。かつては文字の本しか無かったから本を読んでいただけで、動画や音声で同じ内容、あるいは要約を知られるなら、本を読む必要は無くなる。

 クイズの本は売れている。頭のいい人だけが解ける論理的思考問題は25万部。三宅香帆が主張する考察の需要と批評の衰退とも共通する*2。明示された条件から正解を求めるのは得意だし好きだが、明示されていない曖昧で無限の何かには興味がない。資本主義と学歴社会が齎したコスパ(タイパ)の果ては垂直思考の優位と水平思考の軽視。見えてる事に反応するが、見えない事を想像しない。

 スマホの娯楽と違い読書は〈ながら〉で消費を出来ない。その上で読み終わるまで数時間も必要なので、動画や音楽と比較するとコスパ(タイパ)が悪い。

 しかし、マルチタスクに関しては、スマホ脳が1万個の点を並べて、人類史から現在の電気やテレビやパソコンやスマホが常識の時代は点8個分に過ぎないと例示している。同書では、150人の10代を対象とした実験においてマルチタスクに慣れてる子供ほど2秒間だけ表示される文章の暗記能力が低かった事も示されている。

 フィルターバブル(エコーチェンバー)のおすすめに慣れきると、自分で選択するのが苦痛になる。現在はデジタル技術で生産される無限に娯楽が存在するので、無限の選択肢に疲弊しているのに、活版印刷から数えても500年分の本がある中で何を選べば良いかわからない。友人や好きな有名人の推奨作品なら読む。

 面白いのは、日常的に使用しているメディアという質問にWebが592/712人なのに対して、新聞は140/712人。
 なのに、信用が出来るメディアという質問にはWebが317/712人で、新聞は366/712人。絶対値でも相対値でも新聞のほうが信用が出来るのに、しかし、実際には利用しない。

 本の情報はネットでも得られる、という点に関しては、著者は2013年から2023年の間に38%のサイトや記事は消えている事を示している。

 著者は、ネットに慣れきっていると、ネットに無い情報を想定しなくなる点を指摘しているが、これに関して自分は明確な実体験がある。音楽であるが、自分が好きなゲーム音楽のロマサガ編曲La Romanceやグラディウス5のサントラやKoF96アレンジ版などは、CD発売されたが、その後Spotifyなどで配信される気配がなく、当時のCDを中古で買うか、黙認されている違法アップロードで聞くしかない。Spotifyだけで音楽を聞く消費者は、そもそもSpotifyに存在しない音楽を想定せずに聞かない。

 ネットにしか存在しない情報もあるが、等しく本でしか存在しない情報もある。例えば、1889年に日本に3年間だけ暮らしていたメアリー・クロフォード・フレイザーが友人や家族に向けて日本の出来事を書いた手紙をまとめた本英国公使夫人の見た明治日本は、1988年に初版が発売された後に増刷はなく絶版。映画神々のたそがれの原作である〈神様はつらい〉を収録した世界SF全集(24)も同様に絶版。これらはプレミア価格の古本か図書館で借りて読むしかない。

 Z世代に限らず、スマホの娯楽に慣れきって充分だと言う層は、こういう商品を想定していないし、興味もない。本を読めなくなった人たちの著者も、本の利点は自分が生まれる前の時代の何かを簡単に知る事が出来て、自分と自分の時代を相対化して客観視する事が出来る、と指摘しているが、そもそもスマホだけで充分な層は、そんな事は知った事ではない。本書で紹介されている、PVを稼げるのは〈他人の不幸〉〈エロ〉〈漫画〉〈クイズ〉で満足が出来るのだから。

 自分は、娯楽なんて無限にある時代に本を読む必要はないと思っている。自分は月に1冊から3冊を読むが、本の価格が上昇する点を除けば、少数派の娯楽で良いと思っている。本書が示す通り10万文字を苦もなく読める方が異常なのだから。

 それとは別に、本書が言及していない点で気になった事を書く。

 まず、本が売れていた時代ですら、例えば100万部も売れた本の100万人の消費者の中で、いったいどれだけの読者がその本を最後まで読んだだろうか。読書人口に関する統計は、買った量や読んだ量は計測しても、最初から最後まで読んだかという項目がない。最後まで読んだ読者もいれば、数ページでやめた読者もいるし、読まずに置いてるか売った読者だっているだろう。買った量と読み終わった量は比例しない筈である。

 そして、著者も取材対象の読書しない層も、読書を文章を読むだけの行動が前提である。これが退屈な理由の1つと思われる。読んでる本に気になったことや関係ないけど思いついた事を読んでる本に書き込めば良い。そうすれば読書は能動的な行動になる。自分の場合は蛍光ペンで強調しているが、ただ微動だにしない文字を見ているだけで終わっているから動きも音もない退屈なメディアになっているのではなかろうか。

 本書を読んで思ったのは、本を読まない層の主張で性別も世代も問わずに共通しているのは主体性(能動性)の欠如である。見える事から見えない事を、聞いている事から聞こえない事を想像していない。

 例えば、以下の画像はGeminiで作成した美少女の画像であるが、前者は背景が白地で、後者は薔薇の花びらが撒かれたベッドである。


 前者の画像を見た時に、水着の美少女だけを見て終わっていないだろうか。プールや海を想像して脳内補完したり、そもそも水着だからといってプールや海とは限らない背景を、前者の白地背景を見て想像しただろうか。

 自分は、音楽の器楽が全く売れずにSpotifyの上位ランキングにポップスしか無いのと同じ問題だと認識している。本を読まない層は、活字を読まないわけじゃない。ネットで活字に慣れているし、動画や音声は好きだから言語情報も求めている。ただ、常に脳内補完が必要なメディアを避けているのである。それが本書が度々指摘している能動性であり、集中力と想像力が必要な高度な行為である。

 別に読書だけじゃなく、動画や画像を見た時に見えている事だけに固執しない、音楽を聞いている時に聞こえてる音だけに固執しない。これら能動的な好奇心と想像力の欠如が、高学歴ですら読書を避ける根本的な原因ではなかろうか。