自分は、以下に主張されるような物語重視の消費者だった。子供の頃は。しかし、今は、システム重視で会話やイベントやムービーはほとんどスキップする。それは何故か。
ゲームの遊び方って人それぞれあって、皆さんご自由だと思うんですけど、これまで出会ったゲーマーさんでものすごくショックを受けたことがあったんですよ。会話や物語を楽しんで感動が出来るのは無知だからだ。この場合の無知とは批判や否定じゃなく客観的な定量の意味で。
RPGやシミュレーションが大好き、っておっしゃる方で、プレイ中にイベント・会話シーンを【全部】スキップされる方が、まあまあの率でおられて。自分には理解不能だったんです。
「え? それ飛ばしたら何が楽しいの?」って。でもよくよく聞いたら、「ゲームシステムを遊ぶのが好き。物語や文章や心情描写は要らない。自分じゃない架空の人物のことは理解できないから。邪魔だし眠くなる。数字を操作できればいい」と。
ああ、自分はいかにユーザーを分かっていなかったんだろう、と衝撃を受けたものでした。世の中には色んな遊び方をするユーザーがいて、その最大公約を取るためには、こうした遊び方をするユーザーも受け止められる内容じゃないとダメだったんだ。それ以降、ゲームに限らず自分が作るものについて、どこまで客観視できるかを深く問うようになりました。
https://x.com/shimatch/status/2022958263407714800
例えば、犯人が1人という前提のミステリを読んでいた読者なら、実は登場人物が全員犯人だった、という作品を読んだら感動が出来るだろう。しかし、別の作品で同じトリックと展開を採用している作品を既知の消費者からすれば、それもう知ってる、とうんざりする。
つまり、感動とは主観的な新しさに依存するので、知識や経験が増えるほど物語や人物や台詞の類型に気づくので、これらは時間の無駄だと判断する。
特にゲームだと、以下の4種類に収束する。
- 助ける/助けない
- 味方になる/敵対する
だから自分は、OPのムービーや会話やイベントをスキップは出来ないゲームはその時点で遊ぶのをやめる。価値観を強制されているに等しいから。
ゲームに物語があるのは良い。しかし、依存してはならない。サガ・シリーズの河津秋敏が言うように、物語に感動したければ小説や映画など最適化された媒体が既にある。
河津秋敏:「よくできたストーリー」と言われても、ストーリーは誰が読んでも同じなので、だったらそれは小説や映画でいいのではないかと。ただストーリーをなぞって面白くするよりは、「本当にその人が唯一無二の体験をしている」ということが、ゲームならではの上等な遊びだと思っています。
https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/250314r
ゲームはあらゆる分野の娯楽の要素を取り込める柔軟さを持っている。だから物語や会話を1要素として吸収するのは良い。しかし、それを過大評価して依存してはならない。物語や会話は台詞はゲームでしか成立しない要素ではないから。
