以下の主張を見かけたが、あまりに視野が狭い愚者で笑った。アニメに関わる音楽がタイアップ曲しかないような前提である。
むしろ、ミュージシャンこそがタイアップの場面において音楽の独立性をより強く求め、戦うべき。90秒のOP尺に合わせて盛り上がる楽曲構造を求められている状況自体をまずは疑う必要がある。アニメが音楽に合わせて尺を変えてもいいくらいだ。タイアップ曲はアニメに採用される音楽の極1部に過ぎない。アニメにはBGM(劇伴/劇中曲)が存在して、アニメは映画と違い映像にかっちり合わせて作るのではなく、音楽をどんな場面でも使いまわせるように尺に余裕を持たせて作成する。
https://x.com/lucaspoulshock/status/2015667920115040466
監督や作品によっては、音楽の展開に合わせて映像を作る場合もある。アニメは既に音楽に合わせて映像そう作る段取りが主流とは言わないが常識として定着している。
上記の引用は、アニメと音楽という総論を扱っているようで、実はタイアップのポップスしか音楽として認知していない実に浅ましい愚者の戯言。
例えば、自分が好きな音楽家である菅野よう子は、アニメのタイアップ曲と劇伴の両方を作るので、90秒に最適化した音楽と、尺を気にしない音楽の両方を1つの作品でこなしている。
引用元の主張は、タイアップの主題歌と劇伴の両方を出来る音楽家を想定していなければ、そもそも劇伴を音楽として認めてもいない。所詮はポップス(歌曲)という限られた世界、学校のプールで遊んでいるだけで、足が届かない深さもある海原に出た事がない幼稚な戯言。
この主張をしている人物は、タイアップじゃないアニメの劇伴をどれだけタイアップと同等に認知しているのだろうか。ミュージシャンこそがというクソデカ主語を採用しているのだから、タイアップの音楽と同じだけ劇伴の音楽や音楽家も認知してなければ筋が通らない。
こういう非言語の芸術である音楽の1部に過ぎない言語依存の歌曲を過大評価している愚者があまりに多い。