生成AIの2026年問題とアニメを見ない理由


 動画の内容の真偽は不明だが、主張自体は面白かった。

 AIは2026年で馬鹿になる可能性。その理由は以下。

  • 初代のAIは人間が価値ある情報を優先して入力していた。
  • 次代のAIは、AIが選別や省略した情報を教科書にする。
  • 子孫のAIは、先代のAIが取捨選択した統計的に優位な情報を優先するので、初代が教科書にしていた情報を最初から知らずに失われた情報を軽視どころか認識せずに断片だけをもっともらしい装飾で出力する。

 これを見て自分が思ったのは、日本のアニメそのままだなと。自分はかつてはアニメを好きでよく見ていたが、今では1年に1作品を見れば多い方。では、なぜアニメを見なくなったのか。それはアニメを教科書にしたアニメが主流になったから。どういう意味か、前述のAIの段階と同じくリストにする。

  • 初代のアニメは、アニメ以外の分野からの知識や技術を駆使して作られていた。
  • 次代のアニメは、先代のアニメを教科書にアニメを作るようになる。
  • 子孫のアニメは、先代の省略された記号的な演出だけを教科書にするので、初代が持つアニメに無い何かを軽視したり認識しないままアニメを量産する。

 自分が好きなアニメはカウボーイビバップだが、なぜ好きかと言えば理由の1つに、アニメを教科書にしていないアニメだから、というのがある。1950年代から1980年代のドラマや映画など実写と海外の音楽を教科書にしており、当時の時点で珍しい思春期10代の美男美女じゃなく27歳と36歳の大人が主役のアニメ。

 自分が子供の頃はファイナルファンタジーやドラゴンクエストを好きだったのに、今ではサガ・シリーズだけを遊んでいる理由の1つもこれ。常識的なゲームシステムに甘えず非常識で高難度なシステムを作り続け、TRPGやボードゲームや数理的なパズルや紀元前の神話を教科書にしている。ゲームの外の知識と発想をいかにゲーム体験に落とし込めるかを考えている。

 自分は好きな音楽家の菅野よう子は、May'nとの対談で以下のように語っている。

【菅野よう子】やっぱり業界を壊すのは別のジャンルから来た人だよね。 May’nちゃんもあまりアニメを知らなかったのが良かったとは思う。私もMay’nちゃんが、アニメを好きだから関わりたいと思っていたり、アニメの歌手になりたいという人だったりしたら選んでいなかったと思う。
 違う分野の、可能性を感じる歌手がいいと思っていたので。その考えは今も変わらず、アニメの仕事をするときは、アニメを好きという人に基本的にはお願いしない。映画業界の人がアニメ業界に来たり、その逆だったり、あるいはファッションの人がアニメに来たり。そうやって変わっていくところは音楽でも同じなので。
 アニメを好きな人はどうしても既存のアニメが天井になってしまうし、そのジャンルのしきたりにハマると世界観が小さくなるので、なるべく関係ないところから攻めるようにはしている。それはゲームでも小説でもそう。
 『ガンダム』作品や『マクロス』シリーズに関わるときも一応、「見た方がいいですか」とは聞くんですよ。でも、「見なくてもいいですよ」と言われるから見ないんだけど(笑)、ただお約束みたいなところに収まりたくはない。
 やっぱりジャンルをまたいだ方が面白いと思うよね。最近、コンビニで「三ツ星レストランのシェフ監修」みたいな商品をよく見るけど、あんな感じで(笑)。
【連載】May’n Road to 20th Anniversaryインタビュー連載「Crossroad」:第2回(前編):菅野よう子、佐々木史朗 – リスアニ! – アニソン・アニメ音楽のポータルサイト
 自分が新世紀エヴァンゲリオンに限らず庵野秀明の作品を楽しめない理由はここにある。彼はアニメや特撮が大好きで、それだけあれば良いという人生観で作品を作っている。アニメや特撮を好きな人は喜んでくれたら良いと思って作っている。それ自体は何も悪いことじゃないが、アニメと特撮に興味が無い人を魅了するには至らない。あくまで濃いが小さく狭い村の祭りで盛り上がっているだけ。

 自分の価値観は、自分が生まれる前から有効で、自分が死んだ後にも有効な何かを求める、なので、1や2や3という具体的な定数に固執しているものを退屈に感じる。xやyやzにまで抽象化して、そこに何を代入しても成り立つほど広範で長寿な何かを見たいから、ジャンルの主流を模倣したジャンル主流の再生産は退屈で見ていられない。

 冒頭の動画と同じ結論で、だから自分は結局は本を読んでいる。自分の速度で楽しめるし、アニメやSNSなどよりも古く広く長く詳しい情報を簡単に得られるし、知識と発想を扱う量や頻度が違う。自分の目や手や頭を使わないと次に進めないし、主に文字だけの情報だから、文字以外の情報を自分の頭で想像や補完をしなければならず、頭を使う量や頻度が多い。

 生成AIやアニメから得られる情報や体験も悪いものではないが、時間に対する知識や発想に関わる情報の量や密度という意味では、あまりに少なく冗長で散漫なので、おかずにはなっても主食になる事は無い。