物語重視のゲームの限界


 自分に限らず、子供の頃、若い頃にやたらと感動が出来るのは無知だから。漫画やアニメや小説や映画の物語に没頭を出来るのも、自分の限界を知らずに、もしかしたら主人公になれるかも、という素朴さを持っているから。

 そして、それなりに歳を取り感動をしにくくなるのは、ほとんどの創作の様式を知り新鮮さが無くなるから。何なら、自分が子供の頃に好きだった作品すら元ネタありきの亜流だとわかる。だから、体系的になら楽しみやすくなるが、物語は唯一無二じゃないとわかっているので感動を出来なくなる。

 これが、自分が考える、加齢で物語重視のゲームを楽しめなくなる理由である。

 ゲームを拒否はしていない。ただ、ゲームは基本的に子供あるいは若者が主なターゲットなので、物語重視だと必然的に登場人物の年齢も精神年齢も幼くなり、過剰で単純な会話や台詞や説明が多くなる。かつて愛の告白に感動しても、愛の告白という行動自体が馬鹿らしくなってくる。それらは幸福を担保しない事を知っているから。

 幻想に酔えるのは、無知で幼いからだ。それは実際に幼いまたは若いうちは良い。それらを積み重ねて、いずれ自分の不備を思い知り思い出にすれば良い。

 ただ、ある時から知識や経験が幻想に勝ると気づいた時に、ゲームなどを純粋には遊べなくなる。ゲーム自体を否定も拒否もしていないが、間違いなく自分にとって価値は減る。ゲームの中で魔王を倒しても、自分は何も成長していない事がわかっているから。

 とは言え、ゲームとはあらゆるジャンルが存在する文化であり、勇者になりたい、素敵な恋愛をしたい、もあれば、パズル、推理、反射神経、など自分の能力維持に貢献する作品も数多ある。ただ、物語重視の作品は、どうしたって経験が増えるほど相対的に退屈になってしまう。それは、もう既に充分に経験した証とも言える。だから、かつての自分に相応しいものを選んでいたように、今の自分に相応しい分野を選べば良いだけ。その結果としてゲームをやめる事になっても、大人の人生には自然な事である。