本棚と人生

坂本真綾》が新曲の宣伝でラジオ出演をした際に自身の《本棚》写真を公開した。

 これを見て思ったのは、少なくとも自分は、棚一杯のゲームや漫画を見ても何も思わないが、本棚を見ると羨ましいと思うし、この人とはまともな会話が出来る、と思ってしまう。

 自分は、本を月に1冊だけ読む程度でしかないが、それでも年々、ゲームや漫画やアニメや映画よりも娯楽としての比率は上がっている。

 自分が好きな作家——この場合は創作全体を指す——《菅野よう子》《クリストファー・ノーラン》などは古典的な手法を現代的に再利用して確固たる地位を築いた人達だが、彼らは読書を自然な事として実行している。特にスマホやSNSなどに振り回されないし興味が無い。

 《坂本真綾》も古典的な価値観の人間で、スケジュールは手書きの手帳だしSNSにも無頓着。今の時代にスマホやSNSは不可欠な広告や情報源ではあるが、読書に比べたら遥かに頭を使わないメディアであり、自分も利用しているが、可能な限り関わらないようにしている。

 これは若い頃にはわからない事だが、肝心なのは早さより長さ。例えば《泳げ鯛焼き君》は日本で最も売れた曲だが、今では誰も聞いていない。

 大概の事は10年で時代遅れとなり20年から30年で再評価される。肝心なのは20年後に再評価されるためには逆風の10年を生き残らなければならない。その為のコツは時流よりも古典を意識する事。当時よりも10年以上も古ければ、それは10年後に再評価をされる機会を得られる。もっと言えば、自分達が生まれる前の時代を学べば、より原始的故に強固な何かを学べる。

 例えば、SNSの押し売りにうんざりしてRSSが再評価されたり。3Dと多人数マルチプレイは普通となり時代遅れとされてきた格闘ゲームが再評価されたり。ブログも即時性のTwitterや非文字のYoutubeで時代遅れで不要と言われたが、現在では本的に役割、ある程度の言語能力のある人間の文字媒体して活用され続けている。

 本はこれから益々高価なメディアとなるだろう。電子書籍なら複製や管理も容易で手軽で安価も可能。電子書籍で頭に入るなら、それを利用すれば良い。自分は圧倒的に紙だが。

 自分自身、デジタル技術を頻繁に利用して依存している。しかし、だからこそデジタルの弱点も浮き彫りとなり、結局は地面に木の棒、紙と鉛筆を手足のように扱えるのが1番なんじゃないかと思う。スマホタブレットやパソコンを扱える能力は有益だが、電池や電気に依存して、それらを持ち込めなかったり使えない場所というのは現代でもそれなりにあり、その中で人間が扱える最安で最高の道具が紙と鉛筆だ。そして、その延長に本がある。

 読書人口は年々減っているらしいが、自分はそれでも良いと思う。むしろ希少種としてありがたいとすら思うが、需要が無くなり価格が高くなるのだけは苦しい。

 個人的には《京極夏彦》の書斎が理想で羨ましい。