https://www.4gamer.net/games/991/G999104/20260728034/
人間の娯楽的な無音は約5秒が最適だそうな。約5秒とはBPM60以下の1小節になる。速いテンポだと約2小節という感じか。映像編集だと1カットの平均は5秒前後らしいので、人間が十分に認識するにはそれくらい必要という事なのだろう。この記事によると、5秒を超過するとむしろ逆効果になるらしい。
無,余白,余韻,静寂は,古今東西を問わず重要な芸術的・音楽的表現技法とされてきた。ところが現代の高度情報社会は,情報伝達の最大化と効率化に向かって動いている。その中で無音は,単なる物理的な聴覚情報の不在でしかない。情報の不在があれば,そこにどれだけ効率よく情報を詰め込めるかが問われる。ショートコンテンツ,そして倍速視聴。現実の側でも余白と静寂は消えつつある,と石津氏は指摘した。
自分は1小節単位でクレッシェンドやディミヌエンドする音楽を好むが、無音とは言わないまでも、無音の5秒の近似とした抑揚を求めているのかも知れない。引用が示すような常時発音されて誰も彼もフォルテみたいな音楽は幼稚で退屈だと評価している。メロやリズムはフォルテだが、2小節のクレッシェンドと2小節のディミヌエンドで4小節の波がある伴奏とかなら好きだが、強弱が一定の音楽は仮に派手で合っても退屈に聞こえる。
この記事を読んで思ったが、明確な統計はないが最近のポップスはブレイクが少ない気がした。落ちサビこそあるが、5分の曲が長いと言われる時代において、映画を早送りで見る人たちが示した〈台詞の無い場面は飛ばす層〉と同様に、もしかして無音であるブレイクも無駄な時間と評価されているのだろうか。
自分は映画やアニメの消費が極端に減って、今では年に1本でも見れば良い方である。常に動いている物を見ていると動きを追う事に集中が必要で思考を出来ないから。ゲームも種類によるが、手を止めて見るのをやめて考える時間を持てるし、漫画や小説も時間に対していつも任意だが、映像はそれを許さない。動かない、音がない、という価値が低下しているのが事実だとしたら、それはSNSやショート動画に指摘される集中力の欠如と結びつくのではないだろうか。5秒を快感と感じる層には大枠で以下のような条件があったそうだ。
石津氏らは,本当に無音に美を感じているのなら最適な無音長があるはずだと考えた。そこで無音の長さを1秒から9秒まで段階的に増減した刺激を作り,その無音を含む楽曲の美しさを判断してもらった。
結果,一般人は右肩下がりになった。1秒がもっとも美しく,9秒がもっとも美しくない。ところがプロのオーケストラ奏者たちは,約5秒をピークとする逆U字を描いたのである。ランダムではなく,明確なピークがあった。最適な無音長があり,無音に実際に美しさを感じていると考えられる。
これはプロの知識に基づくだけではないのか,という疑問も当然出る。だが一般人の中にも無音に美しさを感じる人たちがいて,彼ら彼女らが示した秒数もやはり5秒だった。では,どういう状況で素人でも無音を感じ取ったのか。
石津氏によれば,無音を挟んだ前半の音と後半の音がまだ連続していると感じている人たちにおいて,5秒をピークとする最適無音長が現れたという。物理的には5秒も6秒もかなり離れている。それでも,離れている音と音同士を心の中でつなぎ止めていた。
5秒という時間とは別に〈無音は有音の前後の接続として認識している〉層にとって有効であると。素人に関しては理由が明示されていないが、これは自分が普段から主張している〈見える物から見えない物を、聞こえる音から聞こえない音を想像する〉層なのではないかと予想している。
この動画は自分が実例するために作ったものである。最初の8小節は長音タイでリズムも音程も全く動かない。後半8小節は、そこに3種類の楽器を加えて合奏している。これはどういう事かと言うと、最初の不動の8小節は、後半の4人合奏で高音の煌びやかを示すための長音であり、動かない事で他の動いている音を際立たせる効果がある。そして、楽器演奏や編曲をする人は、前半8小節を聞いても退屈だと思わない。何故なら自分なりの演奏や編曲の架空の音を脳内再生して合わせるから。しかし、聞こえる音にだけ反応している層は聞こえない存在しない音を想像しない。だから前半と後半で動かない音の内容は同じなのに、後半は快適な音楽と感じるが前半を退屈だと評価する。
無音の価値とは、何も無いNullと判断するか、1X1のXに0を代入したんだな、という想像や感覚を持てるかどうかではないか。そして、引用の実験を見る限り、素人も玄人も共通して5秒前後が最適であると。
沈黙は金、という言葉がある。これ自体は沈黙の価値というよりも余計な事をするな、という教訓を示す言葉であるが、もしかして、将来は沈黙自体の価値が認められて、金 from 沈黙、という意味ではなく、沈黙 is 金という意味に変化するのかも知れない。
最近ではドパガキなんて言葉も流行しているが、この5秒の無音、記事では〈音楽の糊〉と呼称されているが、もしかして集中力と想像力は強く相関しているのではないか、なんて事も自分は考えた。
自分はゲームのサガ・シリーズが好きだが、関係者のインタビュウで何を目指しているかについて聞かれてゲームをプレイしていない時間にあれこれと考えてもらえるゲームを作りたい
という答えが印象的だった。
今はスマホがある事で、何も見ない、何も聞かない時間が無い。それは退屈な時間が無くなったとも言えるが、見えない時間、聞こえない時間で反芻や反省や吟味も無くなった事を意味するのではないだろうか。無音を快感と感じる層は、恐らく無音の時間で印象を振り返ったり、そこから何が起こるのかを想像している。しかし、無音を快感と感じられない層は、1の前の0と認識せず、何も存在しないNullと判断してしまう。これは記事の内容と自分の経験則で共通する。
音楽に限らず、無音や余白、台詞の無い場面、これらは益々駆逐されていくのだろうか。それとも、どこかの時点で反動があり、かつての癒しブームのように無音が流行するのだろうか。
1つ言える事は、現状0をNullと判断する層を主流とした作品が増えるならば、自分は益々映画やアニメやポップスから離れるばかりである。