自分は細田守の作品は断片しか知らず、通しで見た作品は1つ無い。だからこそ思うのだが、彼の作品はCMを見た段階で今後10年は有効な何かを得られる事は無いのは明らかなのに、どうして見に行くのだろうか。ファスト・フードを食べに行って健康に悪いと言われても、そらそうだろうとしか思われない。
明らかに時代を跨ぐほどの価値が無い作品や作家に絡んでおいて、作品の意義を問われても困ってしまう。刹那的な快楽を対象にしている作家と消費者で成り立っているのだから、そこに需要と供給は有っても継続する価値が有るとは限らない。素材と調理と客の好みはそれぞれ異なる変数であり、どれか1つでも値が異なれば、出力の値も異なる。細田守の場合、長期的な価値が有るのは素材だけであり、調理と客は極めて短期的な値で成り立っている。むしろ、今になって細田守を論じる事自体が不可解。自身の性欲を含めて女を肯定していたが、女が老いると性欲が失せてブスだの婆だの批判する、そういう下劣な男に見える。そもそも、惚れるに値する女だったかの吟味が無い。
