ゲームの消費者

 自分はファミコン世代でありゲームに偏見はなく、むしろ娯楽として肯定している。そんな自分ですら、ゲームの消費は明らかに減少している。月に1本もソフトを買わない。かと言って、無料ゲームを毎日しているわけでもない。単純に、ゲームに使う時間と金銭の絶対量が減った。

 ゲームの利点は、老若男女が楽しめる事にある。内容の幅も広く豊富である。しかし、ある年齢に達するとわかるが、世の中にはゲームをしなくても頭を使い練習や勉強で恩恵を得られる物事が無限にある。子供がゲームを好きなのは、お膳立てが完璧だから。些細な成功を過剰に礼賛してくるし、入力した結果は即座に反映される。

 アクティヴ・リコールという暗記方法がある。なんて事はない。暗記対象を見ずに聞かずに思い出すだけである。思い出せなければ、確認して、再び暗記対象を見ずに聞かずに思い出す。これを繰り返すだけ。この暗記方法の面白い所は、繰り返し読む聞く、何度も見ながら聞きながら書く、という勉強方法を実践した当事者よりもテスト結果に不安がある、と自認していた事。しかし、成績は1番に良かった。つまり、自認と結果が反比例している暗記方法なのである。

 ゲームは常に報酬と結果があり、自認と結果が乖離しない。そこが娯楽として完成されているのだが、ゲームにも努力や練習の要素はあるが、現実の暗記や楽器や運動と比較すれば要素が制限されているが故に不確定要素が少ない。だから入り口には向いていても出口には向かない。そこに気づいた大人はゲームから離れていく。もっと応用が効いて収入と成長が望める分野が数多ある事を知るから。

 自分は今でもゲームはする。基本的に高難度な作品を好む。ただし、遊んでも1日20分程度。老いて疲れやすくなっているのは間違いないが、単純に、本を読んだり楽器を練習する方が脳が活発になるから、恩恵の程度が違う。ゲームの欠点は、プレイしない時間にある。読書は、読んでる途中でわからない事があれば目を閉じて好きなだけ考えられる。音楽もまた、聞かず動かず脳内だけでどれだけ再生が出来るかを任意のタイミングで可能。しかし、ゲームは起動と読み込みに時間が必要で、プレイしていなくとも待機中に電力を消費し続ける。何なら使っていない時すら待機電力を必要とする。読書や音楽は、脳内再生に必要なのは時間だけだが、ゲームは電力が必要で動作を継続する事によるゲーム機の物理的な劣化を避けられない。そういう意味で、仮に脳に対する恩恵が同じでも、物理的な消費と損失は異なる。

 もはやゲームは人類に必須の文化となり、人類が滅びない限りは継続していくだろう。しかし、電気とデジタル技術に依存している商品として避けられない欠点がある。ゲーム機が世代交代したら遊べなくなるし、内容は良くても操作性が悪くて遊ばない、など仕様の問題もある。自分は今でもゲームを遊ぶが、恐らく費やす時間と金銭は更に減って行くだろう。