——とも言えるけど。
そもそも反発してるのに周りから同意を得て、という所に論理的に矛盾しているのだけれど。そもそも世の中には肯定と否定が等しくあって、反発が気に食わないなら狭いコミュニティで鍵をかけるかコメント自体を全部拒否すればいいのに、肯定だけを求めて否定は許さないという時点で幼稚園児。
漫画家の荒木飛呂彦は著書の荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方 (集英社新書)で《ちやほやしてくる人は敵》と書いている。はてな的な傾向を批判しながら、主張の浅さと語彙の汚さがまるっきし批判対象の《はてな》で笑ってしまった。
以前に《なろう系》の漫画化をした漫画家が実は《なろう系》なんてやりたくない、みたいな事を言って炎上した事があったけど、萌え系の人って、絵柄の幅が狭くて写実は出来ないけど一見綺麗な絵を描けるから勘違いしてる層が多い気がする。
そもそも、萌え絵以外もしっかり描ける選択肢がある上で萌え絵を描いてるなら何とも思わない筈だけどね。楽譜を読めない人ほど《俺は理論に縛られず才能でやっていく》と寝言を言う俄と似ている。別に楽譜を勉強して読めた上で才能も発揮すればいいだけなのに。結局は自身の限界を指摘されてキレてるだけの子供。
手を繋いだりキスはしたいけどセックスはしたくない女が自己正当化のために「心の繋がり」とか言っちゃう浅ましい美辞麗句と自己陶酔に似ている。
【追記】
この人、面白いね。他人の決めつけは許さないけど、自分は相手の環境や状態を決めつけて、都合の良い断片だけに反応して、反発してる時点で同義なのに字面だけで「言っていない」と言う親に叱られてる小学生みたい。文字は読めても文章は読めない典型。
自分はたまたま《はてブ》であがったものを読んだら、突っ込みどころが満載だったので《悪魔の代弁者》をやったのだけれど、なんとか取り繕ってるけど無駄な感情的な言葉が多いし、こう言う人がVtuberへの過剰な指示長文コメとかやってまうんだろうな、と何となく想像した。
ただ、自分の畑で何を喚こうが自由なので、よそで同じ事をしないなら良いのではないかな。こちらの文章を読んで「反発してる暇があるなら作品とファンを増やす方が健全」くらいの事を思い至らない時点でお察しだけれど。
仮に自分の絵を好きな人がいても、そういう醜い反発で目立つと、ヴォリューム層のアンチでもファンでも無い中間層は逃げてしまう、という想像力が欠如している。
たまたま自分が直近で書いたいい歳して褒められたい願望を抱く人を理解できない - 時代遅れの《ブログ》に見事に該当する人で笑わせてもらった。
ネットと承認欲求の両方に依存と肥大している人は大変だね。